26ばんめの秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/16 13:20 UTC 版)
「26ばんめの秋」 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
岡林信康 の シングル | |||||||
初出アルバム『金色のライオン』 | |||||||
B面 | あの娘と遠くまで | ||||||
リリース | |||||||
規格 |
|
||||||
ジャンル | フォーク | ||||||
時間 | |||||||
レーベル | CBS・ソニー | ||||||
作詞・作曲 | 岡林信康 | ||||||
プロデュース | 松本隆 | ||||||
チャート最高順位 | |||||||
岡林信康 シングル 年表 | |||||||
|
|||||||
|
『26ばんめの秋』(26ばんめんのあき)は、岡林信康が1973年11月21日に、CBS・ソニーより発売した移籍最初のシングル。松本隆プロデュースによるアルバム『金色のライオン』と同時発売された。
解説
「26ばんめの秋」
ラジオでボブ・ディランの「ビリー・ザ・キッド」が流れてきて、アコースティック・ギターだけの、のんびりとした素朴なメロディーと歌いっぷりを聴いたとき、グッと感じて30分ほどで書いた[2]。
「都会を離れ、田舎暮らしをして2年半。少し心も落ち着きを取り戻してきたし、あの歌の内容そのままの出来事もあったりしてね。うちのばあさん(岡林は小さい頃おばあちゃんに育てられて、おばあちゃん子だった)がちょっと入院して、やばい時期があって、それを見舞ったり、姉に二人目の子どもが出来て、俺は叔父さんになってたんだって自覚させられたりして、26歳でね。そんなときに、「ビリーザ・キッド」が流れて、「26ばんめの秋」が生まれたというわけ」[2]。
「この曲ができて、俺はまだ歌が書けるんだ、歌えるんだって感動したんだ。まだまだ書こうと思ったら書けるなぁって。そこからだねぇ、もう一度歌手に戻ろうと思い出したのは」[2]。
タイトルが中々決まらず、当初は「おばあちゃん」というタイトルだったが[3]、たまたま遊びに来た松本に聴かせたら、「これは26ばんめの秋だよ」という助言により決まった[4][5]。
「あの娘と遠くまで」
「俺にとっては、山村の暮らしが俺を生まれ変わらしてくれるんじゃないかという思いがあって、山村での暮らしそのものを「あの娘」に置き換えて作った曲。これは俺の解釈で、聴く人が自由に受け止めてくれればいい」[2]という曲。
収録曲
全作詞・作曲:岡林信康
SIDE A
- 26ばんめの秋 – (3:31)
SIDE B
- あの娘と遠くまで – (4:45)
収録アルバム
- 金色のライオン(1973年 )
- 1973PM9:00→1974AM3:00(1974年)
脚注
- ^ 「オリコンチャートブック 1968-1997」ORICON BOOKS、1997年12月11日、61ページ。
- ^ a b c d 『岡林、信康を語る』岡林信康、disk union、2011年7月13日、ISBN13:OKBOOK1、ISBN10:OKBOOK1、83-89頁。
- ^ 『フォークリポート』1973春号、アート音楽出版、1973年4月1日発行、100-101頁。
- ^ 『岡林信康読本』音楽出版社、2010年5月20日、ISBN-10: 4861710669、ISBN-13: 978-4861710667、28頁。
- ^ “松本隆の詩世界活動50年記念ライブ“神様”との劇的再会|THE KYOTO|京都新聞”. THE KYOTO. 2025年9月16日閲覧。
関連項目
- 26ばんめの秋のページへのリンク