1972年、賞金レースを企画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 07:21 UTC 版)
「根本健」の記事における「1972年、賞金レースを企画」の解説
根本と糟野雅治はプライベートチームとしてレース活動をしていくために必要と考えられることを実行に移す。その一つが賞金レースである。当時はMFJのレースもMCFAJのレースも賞金が出なかったためである。ワークスライダーはメーカーからの契約金により生活を成り立たせていたが、プライベートライダーはレース以外の仕事で生活を維持していた。当時、富士スピードウェイでは「グランチャン」と呼ばれる四輪車のレースに人気があった。そこで、根本らはMCFAJ事務局のスタッフと一緒に「グランチャン」のプロモーターと交渉し、前座レースとしてトップライダーのみのバイクレースを行うことに成功した。このレースは好評で、鈴鹿サーキットでも「2&4」としてバイクと四輪車のレースが同じ日に開催されるようになる。この企画は各地のサーキットでも受け入れられ、今は閉鎖されたむつ湾サーキットではスターティングマネーも支払われた。こうして上位入賞のライダーには数十万円単位で賞金が出るようになった。ただ、賞金は速いマシンに乗るワークスライダーが手にすることがほとんどであった。
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