1686年7月-11月:第二次アルバジン包囲
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「清露国境紛争」の記事における「1686年7月-11月:第二次アルバジン包囲」の解説
「外満州」も参照 1686年、清による二度目のアルバジン包囲戦が行われた。清軍は8000人の兵がいたともいう。また清の史料では兵力2100名、増援200名ともいう。ロシア側は736名のコサックが戦った。別の説では守備兵826名である。軍司令官トルブジン戦死後、ベイトンが指揮した。彼らは壊血病に苦しんだが、1687年5月に清が包囲を解いたので陥落することはなかった。 同年12月に和平条約の知らせが届き包囲が解かれたとも、18か月後に砦は破られトルブジンは殺害されたともされているが、包囲が終わった時、砦には兵士は100人も残っていなかった。
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