15時間の強行軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/09 07:30 UTC 版)
「ホイエルスヴェルダの戦い」の記事における「15時間の強行軍」の解説
ダウンにとって不運だったのは、ハインリヒが既にこの領域から離脱することを決定していたことだった。9月22日深夜に彼の軍勢は野営地をひっそりと抜け出した。テントや焚き火はそのまま残し、撤収が完了するまでわざと野営地で騒音を立てる周到さだった。20マイルを3時間で急行したハインリヒ軍がローテンブルク(ドイツ語版)で休息中、ダウンの軍勢は蛻のからと化したプロイセン軍の野営地に雪崩れ込んでいた。 ダウンの偵察騎兵はハインリヒ軍が北東のグローガウ目指して前進していると報告した。ダウンはこの行動を疑い、一度バウツェンまで後退した。しかし実際にはハインリヒ軍はローテンブルクを去った後、18マイル西方のクリッテンの村落に向けて進んでいた。3時間の休息の後、さらにホイエルスヴェルダまで強行軍を続けたハインリヒ軍はヴェーラ指揮下のオーストリア軍3,000名を捕捉した。 ヴェーラはドレスデン攻囲で名を挙げた将軍であり、彼の次の配置先であるホイエルスヴェルダには、ザクセンとシュレージエンのプロイセン軍が合流するのを食い止めるために築かれた防衛線の一部があった。しかしダウンはこの戦闘が起きるわずか数日前、フリードリヒの軍勢はロシア軍と睨み合っているのが精いっぱいで、ハインリヒ軍が兄の軍と合流することはまずないだろうと判断し、もはや危険はなくなったとヴェーラに手紙を送っていた。
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