12ヶ条の合意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:01 UTC 版)
「ネパール共産党 (毛沢東主義派中央)」の記事における「12ヶ条の合意」の解説
2005年10月、毛沢東派はルクム郡チュンバン村で中央委員会を開催。ここで7党連合と協力することが決定される。 2005年12月、7党連合はニューデリーで毛沢東派と十二か条の合意を締結した。この合意の枠組みの中で、毛派は複数政党制による民主主義と言論の自由を容認することを確約した。一方、7党連合の方は、毛派のネパール制憲議会選挙に対する毛派の要求を受け入れ、政党とマオイストの反国王共闘が成立した。 国王は、国内での支持を回復しようと、2006年2月8日には統一地方選挙を実施した。しかし、これらの選挙はマオイストを全く無視した形で進められたため、マオイストは政党7党と共に別の政府を建設しようと提案、全国で選挙ボイコットを呼びかけ、投票率は20パーセント程度に留まった。
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