龍前院とは? わかりやすく解説

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龍前院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 03:08 UTC 版)

龍前院 りゅうぜんいん
本堂
所在地 神奈川県茅ヶ崎市浜之郷356
位置 北緯35度20分22.06秒 東経139度23分31.51秒 / 北緯35.3394611度 東経139.3920861度 / 35.3394611; 139.3920861座標: 北緯35度20分22.06秒 東経139度23分31.51秒 / 北緯35.3394611度 東経139.3920861度 / 35.3394611; 139.3920861
山号 懐島山
院号 龍前院
宗派 曹洞宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 平安時代後期
開山 道印
開基 大庭良正
中興年 永正5年(1508年
中興 楞山周厳
文化財 龍前院の五輪塔十基、龍前院の庚申塔、龍前院の梵鐘(以上、茅ヶ崎市指定重要文化財)
公式サイト 懐嶋山龍前院
法人番号 7021005001537
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龍前院山門

龍前院(りゅうぜんいん)は、神奈川県茅ヶ崎市にある曹洞宗寺院

歴史

平安時代後期、大庭良正の開基である。当初は法相宗の寺であったが、その後古義真言宗を経て、1508年永正5年)の楞山周厳の中興の際に曹洞宗に転宗した[1]

境内には、五輪塔が10基ある。俗に「二階堂十人墓」といわれている。造立年代は鎌倉時代末期から室町時代初期と考えられ、二階堂氏が当地を所領としていた時期とはズレがあるため、実際には二階堂氏とは無関係と考えられている[2]

1591年天正19年)、徳川家康は山岡景長に当地一帯を所領として与えた。山岡氏近江国が発祥の地であり、先祖が三井寺塔頭「光浄院」を建てた縁により、山岡氏の庶子が光浄院の院主を務めるのが習わしであった。本尊阿弥陀如来は三井寺から贈られたものである。江戸時代旗本として存続しており、山岡一族の墓が墓地にある。現在も山岡氏の末裔との交流があるという[1]

文化財

  • 龍前院の五輪塔十基(茅ヶ崎市指定重要文化財 昭和62年4月17日指定)[3]
  • 龍前院の庚申塔(茅ヶ崎市指定重要文化財 昭和62年4月17日指定)[4]
  • 龍前院の梵鐘(茅ヶ崎市指定重要文化財 昭和62年4月17日指定)[5]

交通アクセス

  • 徒歩
  • バス
    • JR茅ヶ崎駅より神奈川中央バス(茅45小谷行、茅52・茅53・茅54寒川駅南口行)乗車、「登象」もしくは「つるみね小学校前」バス停で下車。

脚注

  1. ^ a b 龍前院の歴史龍前院
  2. ^ 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年、163-164p
  3. ^ 龍前院の五輪塔十基茅ヶ崎市
  4. ^ 龍前院の庚申塔茅ヶ崎市
  5. ^ 龍前院の梵鐘茅ヶ崎市

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 下(歴史散歩14) 鎌倉・湘南・足柄』山川出版社、2005年

外部リンク




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