黒森越
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/24 21:36 UTC 版)
最右翼の黒森越は、本庄大和率いる米沢藩の藩兵450名が金山の有屋口から攻め、中村に押し下る。米沢兵が来ると新庄藩兵はたちまち敗走してしまった。米沢藩の初の勝利であった。後に、薩長幹部より新庄隊隊長北条左金太は責任を激しく叱責されて、8月1日に自刃した。 赤倉越を越えて、萱原にいた新政府軍の胸壁陣地を発見して、交戦した。薩摩藩と佐賀藩の新政府軍は激しい銃火を浴びせかけ、庄内軍に死傷者が続出する。 庄内軍の代わりに松山軍が戦ったが、死傷者が続出した。旧幕府軍は数時間持ちこたえたが、突破できなかったので引き上げた。庄内軍は戦死者5名、負傷者8名を出した。
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