鳥栖越山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/29 08:14 UTC 版)
とす えつざん
鳥栖 越山
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生誕 | 1824年4月6日? 熊本藩 |
死没 | 1934年3月28日(109歳没)?![]() |
死因 | 老衰 |
墓地 | 東京都北区 |
記念碑 | 茨城県笠間市 |
住居 | 東京都北区 |
国籍 | ![]() |
教育 | 高等教育 |
出身校 | 幕府医学館、旃檀林(武蔵国駿河台、現在の駒込吉祥寺内の学寮)、慶應義塾 |
職業 | 僧 |
配偶者 | 妻 |
非婚配偶者 | なし |
子供 | 娘 |
親 | 鳥栖太左衛門 |
親戚 | 鳥栖氏 |
鳥栖 越山(とす えつざん、1824年4月6日? - 1934年3月28日)は、日本の長寿の男性。職業は僧侶。
概略
文政7年(1824年)旧暦3月7日、熊本藩士鳥栖太左衛門の次男として生まれる。江戸幕府医学館、旃檀林(武蔵国駿河台、現在の駒込吉祥寺内の学寮)、慶應義塾に学ぶ。駒澤大学仏教学部講師を歴任。
和泉の長泉寺、常陸の鳳台院、数箇寺の住職を経て、大正10年(1921年)より東京府滝野川町西ヶ原の昌林寺の住職であった[1][2]。
陸軍中将であった長岡外史と親しくしており、長岡の勧めによって、108歳を迎えた昭和7年(1932年)に飛行機に搭乗したという[1]。
昭和9年(1934年)3月、満110歳の誕生日を目前にして死去。生年月日が正しければ、当時世界最高齢だった可能性がある[注 1]。
しかし、生年月日には疑義があり、本人の認識では文化2年3月10日(1805年4月9日)生まれ[3]、僧籍簿では天保2年3月10日(1831年4月22日)生まれ[4]、役所の記録では天保4年3月7日(1833年4月26日)生まれであり戸籍に誤りがあるとの但し書きがあったといい[3]はっきりとしていない。
石川武美は鳥栖に刺激され、毎朝暗いうちから庭掃除をすることをはじめたという[5]。
脚注
注釈
- ^ ギネス世界記録より公式に認められた当時の世界最高齢者は、イギリスのEliza Roff(1824年7月10日生まれ)であり、鳥栖の方が約3か月早く生まれている。
出典
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