鬼頭監督時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:36 UTC 版)
1977年 投手陣は大洋から移籍の山下律夫がチームトップの12勝を挙げるものの、エース東尾、前年11勝の古賀正明がそろって不調。打撃陣は本塁打129本はリーグ2位だったが、ボブ・ハンセンの.269がチーム規定打席到達者で最高打率だったなど打線が低迷。前期6位、後期は8月中旬まで2位をキープするなど健闘したものの、最終的には5位に転落。通年では2年連続6位の最下位に終わる。11月のドラフト会議では法政大学の江川卓を指名するものの入団を拒否される。鬼頭監督が辞任し、後任には根本陸夫が監督に就任した。
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