高車の袁紇(ウイグル)部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:33 UTC 版)
「ウイグル」の記事における「高車の袁紇(ウイグル)部」の解説
詳細は「高車」を参照 「高車(こうしゃ)」とは4~6世紀の中国北朝におけるテュルク系遊牧民の総称で、彼らが高大な車輪のついた轀車(おんしゃ:荷車)を用いたことに由来する。その一部族である袁紇(ウイグル)部は、モンゴル高原をめぐって拓跋部の代国や北魏と争っていたが、4世紀末から5世紀初頭に柔然可汗国に従属した。 390年、袁紇部は北魏の道武帝の北伐で大敗を喫し、429年に北魏が漠北へ遠征して柔然を打ち破ると、袁紇部を含む高車諸部族は北魏に服属して漠南へ移住させられた。 一時期、高車諸部は孝文帝の南征に従軍することに反対し、袁紇樹者を主(あるじ)に推戴して北魏に対して反旗を翻したが、のちにまた北魏に降った。
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