高瀬藤次郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 高瀬藤次郎の意味・解説 

高瀬藤次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 08:40 UTC 版)

高瀬 藤次郎(髙瀨、たかせ とうじろう、1838年8月28日天保9年7月9日[1] - 1913年大正2年)1月6日[2])は、明治時代の政治家実業家新聞経営者。衆議院議員(2期)。

経歴

播磨国加東郡、のちの兵庫県加東郡永富村(上福田村社町を経て現加東市)の大庄屋の家に生まれる[3]1872年(明治5年)永富村戸長に就任し、学区取締などを経て、1879年(明治12年)兵庫県会議員に当選[3]1887年(明治20年)まで務めた[3]。この間、1884年(明治17年)同志と共に五州社を設立し、神戸又新日報を発刊[3]。のち神戸相生町に神戸日報社を設立し愛国新聞を発刊した[4]。ほか、加東郡社村長を務め、神戸法律学校や山陽鉄道の設立にも関与した[2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では兵庫県第6区から出馬し当選[2]。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を通算2期務めた[2]。1893年(明治26年)の衆議院解散を機に政界を引退し、郷里に帰る。1899年(明治32年)12月、社村長に選任された[1]

脚注

  1. ^ a b 『加東郡誌』(加東郡教育会、1923年)p.951
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 287頁.
  3. ^ a b c d 篠田 1891, 318頁.
  4. ^ 篠田 1891, 319頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  高瀬藤次郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高瀬藤次郎」の関連用語

高瀬藤次郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高瀬藤次郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの高瀬藤次郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS