高橋是清との出会いと清水谷商会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:08 UTC 版)
「山口慎」の記事における「高橋是清との出会いと清水谷商会」の解説
留学から帰国後、東京英語学校の教員として働く。その時に同僚として高橋是清と知り合う。是清は慎より8才年下だが、互いに酒好きで、渡米で苦労したこともあり意気投合する。慎に唐津藩の家老・友常典膳の娘を紹介し仲人をした。慎はそれ以前に、東京赤坂で共同経営者として「桜田麦酒会社」に参加し国産ビールの製造を始める。1877年〈明治10年〉、京橋区尾張町に西洋酒問屋・桜田麦酒売捌元「清水谷商会」を開店する。また輸入タバコを扱う「山口屋」も銀座4丁目に構え、繁盛する。
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