高村洋介とは? わかりやすく解説

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高村洋介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/06 15:55 UTC 版)

高村 洋介
基本情報
国籍 日本
出身地 熊本県熊本市東区
生年月日 (1965-09-18) 1965年9月18日(59歳)
身長
体重
185 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1988年 ドラフト外
初出場 1989年10月15日
最終出場 1991年5月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

高村 洋介(たかむら ようすけ、1965年9月18日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

来歴・人物

熊本工業高では、2年次に奥村高次(八幡大学NTT九州)の控え投手として1982年夏の甲子園に出場。準々決勝まで勝ち進むが東洋大姫路高に敗退[1]。この試合でリリーフとして甲子園初登板を果たす。翌1983年は、エースとして同期の野村裕二とバッテリーを組み、春の選抜に出場。1回戦で湯上谷宏のいた星稜高に敗退[2]。同年夏の県大会でも決勝に進むが、後藤慎治のいた東海大二高に惜敗。1年下のチームメートに左翼手井上真二がいた。

高校卒業後は、社会人野球本田技研熊本に入社。

1988年オフ、退職するとドラフト外で6球団競合の末に阪神タイガースに入団。社会人野球時に肩を故障し球速は135km程度であるが、球威があり速球投手としてみられていた。

入団初年度の1989年に右足脹脛肉離れで開幕前に一時任意引退となるが、同年10月15日の対横浜大洋ホエールズ戦で一軍デビューを果たす。1994年に現役を引退。

引退後は、スカウトの話があったようだが、これを辞退し[3]、夫人の実家がある鳥取で自営業を営む[3]2007年9月に甲子園球場の近くで焼肉店を開業するが[4]2011年12月に閉店(その後同店舗は改装され中込伸がオーナーとなる)。

2012年から、社会人野球の履正社学園のコーチを務めている[5]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1989 阪神 1 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 32 7.0 6 0 7 1 0 3 0 0 2 2 2.57 1.86
1990 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 40 7.1 11 1 9 0 0 7 0 0 8 8 9.82 2.73
1991 5 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 31 6.2 10 2 2 0 1 2 0 0 4 3 4.05 1.80
通算:3年 10 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 103 21.0 27 3 18 1 1 12 0 0 14 13 5.57 2.14

記録

背番号

  • 51 (1989年 - 1994年)

脚注

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ a b 宝島社 別冊宝島1819号 元阪神414人の今 P61
  4. ^ 宝島社 別冊宝島1819号 元阪神414人の今 P152
  5. ^ チーム情報 登録・変更情報 2012年”. 日本野球連盟. 2016年11月14日閲覧。

関連項目

外部リンク




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