高島屋婿養子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 17:48 UTC 版)
新七は、享和3年(1803年)越前国敦賀(現福井県敦賀市)中野宗兵衛の子として生まれ、幼名を鉄次郎と言い、文化11年(1814年)京に出呉服商角田呉服店に丁稚奉公するにおいて、名を新七とした。又、諱を宏遠と言う。 近江国高島郡南新保村(現滋賀県高島市今津町)の出身の飯田儀兵衛は、京都烏丸松原上ル(現京都市下京区)において米穀商『高島屋』を営んでいた。子供は娘「秀」一人であった儀兵衛は、京三条大橋東入ル(現京都市東山区)の角田呉服店の奉公人新七の仕事振りに感心し、角田呉服店が倒産したのを契機に文政11年(1828年)新七を娘婿として迎え入れた。
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