高坂の渡し場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 21:24 UTC 版)
都幾川には高坂の渡しがあり、明治時代まで船で往来していた。旧国道407号の東松山橋(現在は東松山市道第80号線)は昭和40年代に架けられたもので、高坂の渡しがあった場所には国道407号旧道(以前は主要地方道)の沈下橋が平成はじめまで残っていたが、都幾川の流路改良により消滅している。ちなみに現在、高坂から都幾川リバーサイドパークに向かう道路が旧国道407号の跡で、河川敷に降りる道路の割に1.5~2車線の道路幅があるのがそのためである。都幾川の先は野本小学校のそば(農村センター交差点)を通り、若松町交差点に至る2車線幅の市道が旧道である。 なお、この高坂の渡し場の手前には、水路に架けられた石橋があり、江戸時代からの姿のまま残されている。この石橋のそばには、橋がいつまでも利用できることや通行人の安全を願って供養塔が建てられており、この石橋が架けられた真髄がわかる。
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