馬頭御前と小野猿丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/22 20:51 UTC 版)
中将が蘇ってその後、姫君は懐妊し男子をひとり生んだ。その名を馬頭御前という。中将は都に帰ると大将に昇進し、朝日長者には陸奥国を治めさせた。馬頭御前は七歳になって都に上り、十五歳には少将に、それからほどなくして中納言にまで出世した。 そののち、馬頭御前こと中納言はまた東国に下り、朝日長者のもとにいたことがあったが、その時朝日長者に仕える侍女に男の子を産ませていた。しかしその子はあまりにも容貌が醜かったので、中納言は都に上らせなかった。中納言の子は奥州小野という所に住み、名を小野猿丸と称した。猿丸は弓の名手となり、飛ぶ鳥だろうと地を走る獣だろうと、射られない物はなかった。
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