馬蹄銀事件による休職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:20 UTC 版)
台湾総督を辞任した後休職していた乃木は、明治31年(1898年)10月3日、香川県善通寺に新設された第11師団長として復職した。 しかし、明治34年(1901年)5月22日、馬蹄銀事件に関与したとの嫌疑が乃木の部下にかけられたことから、休職を申し出て帰京した。表向きの休職理由は、リウマチであった。乃木は計4回休職したが、この休職が最も長く、2年9か月に及んだ。 休職中の乃木は、従前休職した際と同様、栃木県那須野石林にあった別邸で農耕をして過ごした。農業に勤しみつつも、乃木はそれ以外の時間はもっぱら古今の兵書を紐解いて軍事研究にいそしみ、演習が行われると知らされれば可能な限り出向き、軍営に寝泊まりしてつぶさに見学してメモをとり、軍人としての本分を疎かにはしなかった。
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