飯野陣屋と三条塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/11 11:17 UTC 版)
三条塚古墳は飯野藩の藩庁が置かれた飯野陣屋の遺構内にある。三条塚古墳は東側周濠の一部が二の丸と三の丸との間の周濠となっている以外は、飯野陣屋の三の丸の一部となった。飯野陣屋内には三条塚古墳の他に方墳である稲荷塚古墳があり、また同じく方墳の亀塚古墳の一部も飯野陣屋の敷地内にかかっている。 三条塚古墳の墳丘の東側は、江戸時代の末期に藩校明進館が建てられた関係で大きく削られており、また墳丘そのものも飯野陣屋築造当初は陣屋の物見台として用いられた可能性が高い。埋められた西側の内側周濠一部には角場と呼ばれる弓の練習場が設けられた。 西側の外側周濠は飯野陣屋三の丸の堀の一部として利用され、飯野陣屋の三の丸西側にある土塁の一部は、三条塚古墳の内周濠と外周濠との間の周堤を利用したものと考えられている。 以上のことから古代の前方後円墳である三条塚古墳を利用しながら、近世の城郭遺構である飯野陣屋が造られていることがわかり、これは三条塚古墳と飯野陣屋の特徴と言える。
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