風食の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 01:31 UTC 版)
北アメリカの移住民の例 西ヨーロッパからの白人移住者たちが、インディアンの土地を略奪し、その土地には不適当な農耕法を導入したことによって、大草原の自然植物は焼き払われ、単一種類の作物がうえられた。このような、農耕の機械化および集約化が水食や風食が加速する原因となった。長期にわたる砂嵐が頻発し、細粒の砂塵は太陽光線を遮り、機械や諸施設を埋没し、人間に対しては肺疾患をひき起こさせた。(→※項目:ダストボウルも参照。) ウクライナの例 ソビエト領内の森林ステップ地帯、およびコーカサスやカルパチアの山岳地帯での侵食が及ぼす影響が問題になる中で、風食がひき起こした砂嵐(ウクライナの黒嵐)によって、畑地、牧草地、その他の土地の生産力が低下し、1981年、ウクライナでは最大の飢きんが起こった。こうした災害をうけて、ソビエト政府は1967年、風食に対する土壌保全対策を決定した。
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