風神雷神図屏風 (俵屋宗達)
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作者 | 俵屋宗達 |
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製作年 | 17世紀(江戸時代初期) |
種類 | 屏風・紙本金地着色 |
寸法 | 154.5 cm × 169.8 cm (60.8 in × 66.9 in) |
所蔵 | 京都国立博物館、京都府京都市東山区 |
所有者 | 建仁寺 |
登録 | 国宝(1952年指定[1]) |
ウェブサイト | 京都国立博物館 名品紹介 |
『風神雷神図屏風』(ふうじんらいじんずびょうぶ)は、江戸時代初期の絵師俵屋宗達による二曲一双の屏風絵である[2]。千手観音の眷属である風神と雷神をモチーフとした金屏風で、鎌倉時代の絵巻物『北野天神縁起絵巻』などに取材した容態で二神を描いた宗達の最高傑作であり、代表作と言われる[3]。款記も印章も残されていないが宗達の真筆と認められており、1952年3月29日に国宝に指定された[1][4][5]。京都の建仁寺が所有し、京都国立博物館に預託している[6]。
背景
俵屋宗達の生没年に関しては不明ではあるが、遅咲きの絵師といわれ、最初に美術史上に登場する慶長7年(1602年)の福島正則主導の平家納経の修復作業時には、40歳に近い年齢であったと見られている[7]。この頃には宗達の持つ独自の画風は確立を見せていたが、世評を受けるにはさらに年月を置いた後のことになる[8]。年齢的に円熟期と見られる慶長、元和初期には本阿弥光悦の下絵制作など、個人としてはわずかばかりの活動しか見られず、俵屋工房の運営に腐心していたものと見られている[9]。元和中ごろより宗達の画業は転換点を迎え、個人としての活動を主としていった[10]。この傾向は、絵師に与えられる僧位である法橋位を得たことにより、より明確化された[注釈 1][10]。この頃より「法橋宗達」あるいは「宗達法橋」という落款の使用が見られるようになり、宗達晩年の画業については一般に法橋時代と呼称される[12]。法橋時代の宗達は金碧の障屏画といった大作や水墨画などを多く手掛けた[12]。本項で述べる『風神雷神図屏風』もこうした時代の作風と一致することから、法橋時代の傑作であると見られている[12]。
作品
画題と形式
『風神雷神図屏風』という画題を宗達が与えた記録は残されておらず、後年に別の人物がモチーフより与えた画題とみられる[13]。左右に風神と雷神をそれぞれ描いた二曲一双の屏風絵であるが、二枚折り屏風を一双とする形態は宗達以前には見られず、当時は珍しい形式の屏風絵だったと考えられる[13]。大きさはそれぞれ154.5cm×169.8cmと正方形に近く、左隻に風神、右隻に雷神が描かれている[2][14]。落款や印章は確認されていないが、絵の特徴から宗達の真筆であると認められている[13]。
制作年
明確な制作年はわかっていない[13]。宗達の画業は俵屋の工房を主宰し、工芸的な作品を主として制作していた前半期(俵屋時代)と、法橋に叙任し鑑賞を目的とする作品の制作に移行した後半期(法橋時代)に大分されるが[15]、その作風から晩年の法橋時代に制作されたものとみられている[13]。一方、美術史家の水尾比呂志は、最晩年ではなくもっとも円熟した元和年間に制作された作品であるとの説を提唱した[16]。美術史家の佐藤康宏は、当時、上層町衆や烏丸光広ら宮廷文化人、後水尾院ら公家たちが集まり風流を興じていた臨済宗建仁寺派の妙光寺において、宗達もこうした集まりに参画し、遊びながら『風神雷神図屛風』の制作にあたったのではないかと推察している[13]。

モチーフ
美術史家の仲町啓子は、『風神雷神図屛風』は妙光寺のために描かれた作品であると指摘しており、このため作品には仏教的主題である風神雷神が選定されたとしている[13]。風神と雷神は自然現象を神に喩えたもので、五穀豊穣を祈念している[13]。鬼神のモデルは鎌倉時代の絵巻物『北野天神縁起絵巻』「清涼殿落雷」に登場する雷神、『松崎天神縁起絵巻』の雷神、あるいは湛慶が制作した三十三間堂の風神雷神像など、複数の作品から借用したと見られる[17][18]。特に雷神は頭に鉢巻のようなものを装着しており、美術史家の山根有三は、当時のかぶき者の風俗を取り入れたものではないかと指摘している[13]。対して風神は『北野天神縁起絵巻』の風神を継承せず、雷神の所持品を風袋に変えて創り上げている[18]。また、通常は憤怒の表情が一般的とされる二神であるが、宗達は哄笑という逆の表情で描写している[18]。


構図
左右の二神はその目線とへその位置が同じになるよう描画され、バランスの取れた構図となっている[13]。二神は左右の上方に配置され、中央には大きな三角の空間が開けられ、モチーフと空間が対角線上になるよう配置されている[13][19]。当時の日本画としては他に類型のない構図となっている[20]。こうした構図は中国の南画にしばしば見られ、なんらかの影響を受けているのではないかとする研究者もいる[13]。一方でもともとは扇に描く予定だった構図を借用したため、中央部に大きな空白が開いたとする説もある[21]。
風神の風袋や二神の天衣は流れるような曲線で描かれ、雷神の背後には円形の太鼓が複数配置されている[13]。雷神の太鼓は、屏風絵の特徴を活かすよう、折られた状態で真円となるよう意図的に歪めて描写されている[22]。背景は何も描かれていないが、二神の周囲に雲の流れが描写されている[23]。雲は明確な質量を持つ図様として描写されており、二神はこの雲の傾斜に対して真っすぐに立ち上がるよう表現されている[23]。流れるような天衣と、まっすぐ立つ二神、傾斜して這うように湧き上がる雲が、それぞれ異なる方向性を示していることで金地という虚空に明確な三次元的な空間軸が設定され、鑑賞者からみると立体感のある作品に仕上がっている[24]。また、雲の傾斜角が左右で一致しておらず、風神の方がわずかに近く感じるように見えるため、両隻を併置することで屏風内に空間的な深みや広がりが得られるよう設計されている[25]。
技法
雲は銀泥と墨を用いたたらしこみ技法[注釈 2]が使用されており、もやもやとした効果を生んでいる[13]。二神は太く柔らかく、ゆるやかな線で描画され、こちらもたらしこみ技法を用いたともとれる色の滲みが確認できる[26]。髪の毛は一本一本描き分けられている[13]。こうした描画法によって神のもつ厳めしさがユーモラスともとれる形態で表現されている[27]。
二神には金箔を押した跡が無いことから、屏風の素地に風神雷神を描画し、そこを避けて金箔を押した後に雲のみ金箔の上から追加描画したものとみられる[13]。画材としては地色の金箔、雲に使用された銀泥と墨の他に、緑青色、群青色といった鉱物系の顔料(岩絵具)が用いていると見られ、白色は胡粉が使用されている[13]。雷神は通常赤系統で表現されることが一般的とされるが[18]、色彩対比として地色の金に映える色を選択したものと考えられる[13]。
来歴
京都の建仁寺が所有し、京都国立博物館に預託している[6]。しかし、建仁寺が所蔵した経緯についてははっきりとわかっておらず、京都の豪商打它公軌が妙光寺に寄進するために宗達に描かせたが、妙光寺の住職が建仁寺に移った際に持ち出したものではないかとする逸話もある[21]。
影響

『風神雷神図屏風』は琳派の絵師であった尾形光琳が晩年に模写し、『風神雷神図屏風』(重要文化財)を制作した[28]。正確な制作年は判明していないが、落款より1701年以降の作と見られる[28]。宗達が屏風の特徴を活かした構図を採用しているのに対し、光琳は左右の相対性を強く意識した作品に仕上がっている[28]。光琳の作品は酒井抱一や鈴木其一らによってさらに模写され、風神雷神図というモチーフは琳派の画系を象徴するものへと昇華した[29]。
優れた作品であり、世界的に見ても価値が高いという要件を満たしたとして、1952年3月29日に国宝に指定された[1][13]。
近年では2008年の北海道洞爺湖で開催された第34回主要国首脳会議の首脳会議場において、「自然の力を神格化した二神はエコロジーを体現する象徴として、地球環境問題を討議する場」にふさわしいとして『風神雷神図屏風』の複製画が展示された[30]。
評価
二曲一双の屏風絵の中でもっとも有名な作品とされ、作者は俵屋宗達以外考えられないと研究者間で一致した見解が持たれている[31]。美術史家の源豊宗は、「一双の両端、画面の情報に大きく風神と雷神と、今にも踊り出んばかりの勢いをもって、しかもユーモラスに、そしてはなやかな装飾性において画かれている。そこには闊達な自由人としての桃山的人間性がある」と評し、作品から垣間見える宗達の人間としての器の大きさを賛辞した[32]。同じく美術史家の橋本綾子は、宗達、光琳、抱一の『風神雷神図屛風』の中で宗達の作品が「一際ぬきんでて大きく、豊かで、生気に溢れている」と評し、署名も印も伝承もないこの作品を躊躇なく宗達作であるとされるのは作品の持つ力にほかならないと論じた[33]。
美術評論家の中村渓男は、「想像の風神雷神というものをかくも美しく、しかも端的に力強く描き出した」と評し、宗達の画家としての卓越した力量を指摘するとともに、観覧者側にもそれを理解するだけの準備が必要であると評した[34][35]。ニューヨーク近代美術館でキュレーターを経験し、宗達を主人公とした小説を手掛けるなどした作家の原田マハは、『風神雷神図屛風』について当時の日本美術の作法から逸脱している作品であるとし、その先見性、異端性を強く指摘するとともに、こうした作品が落款が無く真贋が定かでないという理由から、アーネスト・フェノロサらに目を付けられず海外流出を免れたのは一種の奇跡であると評している[36]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 「紙本金地著色風神雷神図〈俵屋宗達筆/二曲屏風〉」『国指定文化財等データベース』文化庁。2025年8月21日閲覧。
- ^ a b 「風神雷神図屏風」『山川 日本史小辞典 改訂新版』山川出版社 。コトバンクより2025年8月23日閲覧。
- ^ 「風神雷神図屏風」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』Britannica Japan Co., Ltd 。コトバンクより2025年8月23日閲覧。
- ^ 京都国立博物館.
- ^ 文化遺産オンライン.
- ^ a b 建仁寺.
- ^ 源 & 橋本 1980, p. 102.
- ^ 源 & 橋本 1980, p. 98.
- ^ 源 & 橋本 1980, p. 103.
- ^ a b 源 & 橋本 1980, p. 104.
- ^ 源 & 橋本 1980, p. 105.
- ^ a b c 源 & 橋本 1980, p. 106.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 影山 2009, p. 2.
- ^ 影山 2009, p. 1.
- ^ 中部 2005, p. 1.
- ^ 板橋区立美術館 1982, コマ番号56.
- ^ 鈴木 2023, p. 6.
- ^ a b c d 村瀬 2010, p. 567.
- ^ 源 1990, p. 215.
- ^ 村瀬 2010, p. 568.
- ^ a b ARTMEDIA 2023.
- ^ 鈴木 2023, p. 4.
- ^ a b 中部 2005, p. 3.
- ^ 中部 2005, pp. 3–4.
- ^ 中部 2005, p. 4.
- ^ 源 1990, p. 222.
- ^ 源 1990, p. 256.
- ^ a b c 中島 1966, p. 18.
- ^ 「紙本金地著色風神雷神図〈尾形光琳筆/二曲屏風〉」『国指定文化財等データベース』文化庁。2025年8月23日閲覧。
- ^ 輿石 2012, p. 40.
- ^ 鈴木 2023, p. 3.
- ^ 源 1990, p. 200.
- ^ 源 & 橋本 1980, p. 127.
- ^ 鈴木 2023, p. 18.
- ^ 鈴木 2023, p. 20.
- ^ 原田マハ (2022年12月21日). “「風神雷神図屛風」が日本に現存する奇跡 海外流出を免れたのは偶然?”. WEB歴史街道. PHP研究所. 2025年8月23日閲覧。
参考文献
書籍
- 中島純司「表紙写真解説 風神雷神図屏風」『Museum』 187巻、東京国立博物館、1966年、18頁 。
- 中村渓男「建仁寺の風神雷神図屏風」『茶道の研究』 24巻、284号、三徳庵、1979年、17-20頁 。
- 源豊宗; 橋本綾子『日本美術絵画全集』 14巻、集英社、1980年。doi:10.11501/12425409 。
- 板橋区立美術館『烏丸光広と俵屋宗達』板橋区立美術館、1982年。doi:10.11501/12710084 。
- 源豊宗『日本美術史論究6 桃山・元禄』思文閣出版、1990年。doi:10.11501/12418244。 ISBN 4-7842-0615-9 。
論文
- 中部義隆「「舞楽図屏風」と「風神雷神図屏風」の画面構成について」『美術史論集』 5巻、神戸大学美術史研究会、2005年、1-6頁 。
- 村瀬博春「俵屋宗達《風神雷神図》にみられるデザイン思考― 意味の新規性としての創造性」『認知科学』 17巻、3号、日本認知科学会、2010年、563-571頁 。
- 輿石まおり「綴プロジェクト[風神雷神図屏風]について」『デザイン理論』 60巻、意匠学会、2012年、33-46頁 。
- 鈴木公洋「宗達《風神雷神図屏風》構成手法からの考察」『図学研究』 57巻、2号、日本図学会、2023年、3-8頁 。
Webサイト
- “国宝風神雷神図屏風”. 京都国立博物館. Kyoto National Museum. 2025年8月21日閲覧。
- “建仁寺の文化財”. 建仁寺. 大本山建仁寺. 2025年8月21日閲覧。
- “風神雷神図屏風”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2025年8月21日閲覧。
- 影山幸一 (2009年4月1日). “俵屋宗達《風神雷神図屏風》 鉢巻をした雷神に見る聖と俗の美──「佐藤康宏」”. artscape. 大日本印刷株式会社. 2025年8月21日閲覧。
- “「風神雷神図」を描いた7人の画家”. ARTMEDIA. クリエイトアイエムエス株式会社 (2023年4月29日). 2025年8月21日閲覧。
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