顕性寺 (新宿区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 顕性寺 (新宿区)の意味・解説 

顕性寺 (新宿区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/06 00:59 UTC 版)

顕性寺
所在地 東京都新宿区須賀町13-5
位置 北緯35度41分03.2秒 東経139度43分15.2秒 / 北緯35.684222度 東経139.720889度 / 35.684222; 139.720889座標: 北緯35度41分03.2秒 東経139度43分15.2秒 / 北緯35.684222度 東経139.720889度 / 35.684222; 139.720889
山号 金剛山
院号 蓮華院
宗派 真言宗豊山派
創建年 慶長16年(1611年
開山 法印賢秀
札所等 御府内八十八ヶ所霊場44番札所
法人番号 9011105000561
テンプレートを表示

顕性寺(けんしょうじ)は、東京都新宿区にある真言宗豊山派寺院

歴史

1611年慶長16年)、法印賢秀によって開山された。元々は牛込門外に位置していたが、江戸城拡張工事のため、1634年寛永11年)に現在地に移転している[1]

1725年享保10年)に火災に遭い、文政年間(1818年1831年)に至っても、まだ仮堂のままなど、寺運衰微の時期が長く続いた。そのため著名人の墓は特にない[1]

俎大師

当寺の寺宝に「俎大師(まないただいし)」がある。これは弘法大師空海土佐国高岡郡に巡錫した際、家に泊めてくれたお礼として、まな板に「南無阿弥陀仏」の文字を彫ったものという。その後幕末に至り、空海が泊まった家の末裔が大坂に移住し、続いて江戸改め東京に移住した。しかし生活苦に陥り、例のまな板を抵当として料亭「鳥八十」から5を借りた。そして、そのまま鳥八十の所有となった。この鳥八十の主の娘が、後に落語家五代目古今亭今輔の母となる女性である。1934年昭和9年)、弘法大師千百年遠忌に際し、古今亭今輔の母は、この俎大師を当寺に寄進した[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 新宿区立図書館 編『四谷南寺町界隈(新宿区立図書館資料室紀要5)』新宿区立図書館、1971年、p40-42

参考文献

  • 新宿区立図書館 編『四谷南寺町界隈(新宿区立図書館資料室紀要5)』新宿区立図書館、1971年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  顕性寺 (新宿区)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「顕性寺 (新宿区)」の関連用語

顕性寺 (新宿区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



顕性寺 (新宿区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの顕性寺 (新宿区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS