音大を断念して東大に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:11 UTC 版)
「すぎやまこういち」の記事における「音大を断念して東大に」の解説
当初は音楽大学への進学を望んでいたが、ピアノが弾けなかったことから断念し(『週刊Gallop』の鈴木淑子との対談記事では「音大志望だったがお金がなかったから東大に進学した」とも述べている)、東京大学理科II類に進学。学業に専念できず、音楽活動と遊びに専念。3年次、自由な時間がなくなるのを嫌って、教育学部教育心理学科へ傍系進学。しかし、教官が(授業にあまり出ない)すぎやまの顔を覚えていたために、テストを受けさせてもらえないなどしたため1年留年して卒業。 卒業後、父のコネで工場の品質管理のアルバイトをしていたが、「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」の再演を音楽評論家の有坂愛彦(当時文化放送芸能部長)が気に入り、引き抜かれる形で文化放送に入社。1年報道部で務めた後、芸能部に移り、「日立コンサート」を担当。 1958年、「これからはラジオの音楽番組はコスト面で不可能になる」と判断し、開局準備中だったフジテレビに移籍する。
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