韮崎七里岩地下壕群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:03 UTC 版)
韮崎市一ツ谷・祖母石両地区には太平洋戦争中の地下壕が存在する。戦争が激化し都市部の空襲が相次いでいた1945年(昭和20年)3月7日に陸軍航空本部は本土決戦に備えて「生産組織疎開計画並びに実施状況」を発表し、軍事工場を地方都市の地下に疎開させる計画を立案した。立川飛行機株式会社はこれに基き航空本部に対して韮崎地区の七里岩断崖に隧道を開削して地下工場を建設する計画書を提出した。 地下壕は韮崎市水神町の青坂地下壕、一ツ谷・祖母石などに建設され、地元町民や学生のほかに軍人、建設作業員、在日朝鮮人らが従事した。工事は機械、機材を持ち込み大規模に行われたが、崩落や地下水の侵出により作業は難儀し、工事中に終戦を迎えた。
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