青白橡・青色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:46 UTC 版)
源高明『西宮記』の記述から、日本では10世紀半ばには、麹塵は青白橡と同じ色として扱われていたと見られる。また同じく『西宮記』の記述等から、単に「青色」と記されるものも同じ色であったと見られる。 正倉院文書には色名として「白橡」の用例は多いが、「青白橡」は見られない。白橡はどんぐりで染めた薄茶色のことで、青白橡はこれの青みがかったものと考えられている。 さまざまな染色技法について解説した『延喜式』「雑染用度」(10世紀)では、青白橡の染め方として、綾等の絹地1疋に対し、苅安草を96斤、紫草を6斤使い、媒染剤として灰を3石用いるとしており、刈安の黄色に紫草の青紫をかけて実現したという。この染め方を現代に復元すると、くすんだ黄緑色に染まるという。 『西宮記』によれば、青色の袍は、天皇、公卿、侍臣が広く用いるものであった。特に天皇の袍の色の一つとなったことから、麹塵(青白橡)を禁色に含める考え方もある。ただし、内宴等の特定の行事の際に臣下が青色の袍を用いることが見られるほか、蔵人は青色袍を着用しており、特に六位蔵人が着る綾の青色袍は『枕草子』等で称賛の対象となっている。青色は女性の服装にも用いられた。 室町時代の『装束雑事抄』によれば、青色(麹塵)の袍の生地は、経糸を青、緯糸を黄で織り出したという。
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