阿閇皇女の執政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:42 UTC 版)
『続日本紀』によると、文武天皇の崩御後、世継ぎの首皇子が幼少であったため後継問題が浮上し、そこで文武天皇の母で天智天皇の皇女にあたる阿閇皇女が仮に政務を執った。だが、後継は定まらず、2カ月後に諸臣の要請を受けて首皇子成人までの中継ぎとして元明天皇として即位した。息子である天皇の崩御から元明天皇即位までの2カ月間は形式的には阿閇皇女の称制が成立していたと考えられているが、期間が短かったために、称制としての実質はほとんどなかったと考えられている。
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