関市立瀬尻小学校とは? わかりやすく解説

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関市立瀬尻小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 22:13 UTC 版)

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関市立瀬尻小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 関市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 501-3265
岐阜県関市小瀬2120-4
外部リンク 公式サイト
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関市立瀬尻小学校(せきしりつ せじりしょうがっこう)とは、岐阜県関市にある公立小学校

通学区域

  • 通学区域は、西仙房の一部、小瀬の一部、緑ケ丘1丁目[1]・2丁目、池尻、広見、山王通2丁目、北福野町2丁目、小瀬南1・2丁目、星ケ丘、広見北町、広見東町、池田町であり、公立中学校の進学先は関市立緑ヶ丘中学校である[2]

沿革

  • 1873年(明治6年) - 文開義校が開校。小瀬村と池尻村の児童が通学する。永昌寺[注釈 1]を仮校舎とする。
  • 1880年(明治13年) - 池尻村に池尻分教場を設置。
  • 1884年(明治17年) - 池尻分教場が分立し、池尻学校になる。
  • 1886年(明治19年) - 文開義校が小瀬村立公立小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年) -
    • 小瀬村と池尻村が合併し、瀬尻村が発足。
    • 池尻学校が池尻簡易科小学校に改称する。
  • 1891年(明治24年) - 公立小学校が小瀬尋常小学校に改称する。
  • 1897年(明治30年) - 池尻簡易科小学校が池尻尋常小学校に改称する。
  • 1905年(明治38年) - 小瀬尋常小学校が瀬尻尋常小学校に改称する。
  • 1937年(昭和12年) - 瀬尻尋常小学校と池尻尋常小学校が統合され、瀬尻尋常小学校となる。現在地に移転。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 瀬尻国民学校に改称する。
  • 1943年(昭和18年)10月1日 - 瀬尻村が関町に編入される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 関町立瀬尻小学校に改称する。
  • 1950年(昭和25年)10月15日 - 関町が市制施行し関市となる。同時に関市立瀬尻小学校に改称する。
  • 1957年(昭和32年) - 広見地区[注釈 2]が校区に加わる。
  • 1972年(昭和47年) - 体育館が完成。
  • 1973年(昭和48年) - プールが完成。
  • 1977年(昭和52年) - 新校舎が(鉄筋コンクリート造3階建)が完成。
  • 1980年(昭和55年) - 校舎を増築する。
  • 1982年(昭和57年) - 校舎を増築する。

関連項目

参考文献

  • 新修関市史 通史編 近世・近代・現代 (関市 1999年) P.813
  • 年表 市制35年の歩み (関市教育委員会 1985年) P.18 - 42

注釈

[脚注の使い方]
  1. ^ 現在の岐阜県関市小瀬52-1にある寺院。
  2. ^ 前年9月29日、南武芸村広見が関市に編入。

脚注

[脚注の使い方]

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