開院に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 05:13 UTC 版)
昭和の初頭、旧高田郡には無医村が7カ所あり、1935年(昭和10年)頃、「農民のための農民病院をつくろう」と農民運動がおこり、社会運動家の賀川豊彦の協力も得て、高田郡をはじめ山県郡・双三郡を含めた33産業組合、組合委員1万5千人の力を結集、1943年(昭和18年)4月に54床で開設された。 建設に当たっては、病院建設用地は吉田町より寄付を受け、約4千坪の用地造成工事は吉田町民の勤労奉仕によって行われた。
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