門田元弥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 06:47 UTC 版)
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時代 | 江戸時代初期 |
生誕 | 慶長6年(1601年) |
死没 | 承応4年11月3日(1655年11月30日) |
別名 | 通称:久三郎→太郎右衛門尉 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 門田氏 |
父母 | 父:門田元経、母:児玉元兼の娘 |
兄弟 | 元弥、 女(天野元処室)、元徳、 女(兼重景経室)、女(繁沢就貞室、杉就之室) |
妻 | 正室:渡辺広の娘 継室:村上元武の娘 |
子 | 就政、二宮久辰、女(市川就貞室)、久重、 桑原重経 |
門田 元弥(もんでん もとひさ)は、江戸時代初期の武士。毛利氏の家臣で長州藩士。家格は大組。祖父は毛利輝元の側近を務めた二宮就辰、父は長州藩の大組組頭を務めた門田元経。
生涯
慶長6年(1601年)、毛利氏家臣である門田元経の嫡男として生まれる。
元和4年(1618年)9月22日、毛利輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元弥」と名乗った。
寛永6年(1629年)1月11日には、祖父・二宮就辰や父・元経と同様に「太郎右衛門尉」の官途名を毛利秀就から与えられた。
慶安3年(1650年)12月30日に父・元経が死去し、その後を継いで大組の組頭[注釈 1]を務めたが、承応4年(1655年)11月3日に死去。享年55。嫡男の就政が後を継いだ。
なお、萩城下の市街地には子孫の屋敷跡の長屋門が現存している。
脚注
注釈
- ^ 父・元経が組頭に就任した頃の大組の組数は6組であったが、元弥の時には8組へと増えている。
出典
参考文献
- 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:
84027305。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻64「二宮太郎右衛門」、巻114「二宮万七郎」
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