長男・興毅への対戦要求
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:47 UTC 版)
事の発端は2005年1月、そのビッグマウスと派手なパフォーマンスで当時のボクシング界の話題をさらっていた亀田興毅が、週刊誌のインタビューの中で内藤を「弱い」と評し、これを受けた内藤が興毅に対戦を呼び掛けたことに始まる。しかし亀田陣営は「誰やそれ? 興味無いわ」「6回戦レベル」などと歯牙にも掛けない態度を貫いていた。内藤も負けじと、自身と容姿が似ている波田陽区の持ちネタである「ギター侍」に扮し、「結局逃げられて…残念! 亀田君、たまには日本人とやろうよ…斬り!!」というキャッチコピーを載せたポスターを作製するなどして、亀田陣営を挑発した。 内藤はポンサクレックへの3度目の挑戦を前に「世界王者になれたら亀田を挑戦者に指名する」と宣言した。試合後内藤は、「これで立場が逆になった。チャンピオンになったのだから、どっしりと構えますよ。あっちが(戦いたいと)言ってくるまで待つ」とコメント。これを受け興毅も「いつでもやってやる」と挑戦者に名乗りを上げたが、初防衛戦の相手は興毅ではなく次男の大毅(当時WBCフライ級14位)に決定した。
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