鎌倉北条氏滅亡の戦記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:48 UTC 版)
元弘3年(1333年)5月の鎌倉の戦いで新田義貞率いる倒幕軍をこの地で迎え撃ったと言われている。この時代の戦記で比較的信用されている『梅松論』では「武蔵路」は第16代執権赤橋守時が大船と深沢の間の洲埼・千代塚で戦い「一足も退かず自害す」とあり、その後の5月18日から22日の間「山内・小袋坂・極楽寺の切通以下鎌倉中の口々、合戦の鬨の声・矢叫び・人馬の足音暫しも止む時なし」とあるのみで場所を特定する手がかりは無い。
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