銭亀火山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 22:50 UTC 版)


銭亀火山(ぜにがめかざん)は、北海道函館市にある汐泊川河口沖約2.5kmの津軽海峡海底にある海底カルデラである。水深50m、直径はおよそ2km。カルデラそのものを指して銭亀沢カルデラとも呼ばれる。
特徴
地質は安山岩質である。1回の噴出でカルデラが形成されたと考えられ[1] 、このカルデラが起源である火砕流噴出物が函館市銭亀、石崎の海岸沿いに露出している。この火山の噴出物は銭亀沢火砕流噴出物と女那川降下軽石と呼ばれ、それぞれ約9km3、約19km3噴出したと考えられている。また、湯の川温泉の熱源と推定されている[2]。
噴火活動時期
- 4.5万年から3.3万年前
函館群発地震
北海道大学有珠火山観測所の推測ではあるが、1978年(昭和53年)10月23日[3]から1982年(昭和57年)5月5日にかけて有感地震だけで計38回発生した函館群発地震はこの海底カルデラのマグマ活動由来ではないかとの説がある[4]。
北海道大学理学部の観測によると、震源地は函館の沖合5~10㎞に集中し、震源の深さは5~15㎞で比較的浅いと推定された[5]。
この群発地震の震源域が2ヶ所あり、当初は函館山すぐ南沖であったが、2ヶ月ほど経つと湯の川温泉沖でも起きるようになった。これだけでは原因を確定することは難しいものの、群発地震の原因はマグマや熱水などの地下深くの「熱いモノ」が浅い方向へ板状に上昇していく現象(貫入という)で起きると考えられていて、貫入が起きた地域を挟む2つの地域に力が集中し、2つ目玉のような震源域になる特徴がある。約3万年前に噴火活動は収束したとされているものの、この群発地震によって今でも函館に地下深くから大量の熱の供給が延々と続いている可能性が示されたと考えられる。地震自体の揺れによる大きな被害が起きるとは考えられないものの活動が長期化することがあり、住民が不安になるので厄介な地震といえる[6]。
本項の解説範囲から外れるが、銭亀火山のある道南地域は北海道内でも群発地震が発生することが多い地域とされる[7]。過去に起きた主な群発地震は下記の通り。
- 1919年(大正8年)の松前付近の群発地震[7]
- 1934年(昭和9年)の八雲町大関付近の群発地震[7]
- 1953年(昭和28年)の熊石付近の地震活動[7]
- 1966年(昭和41年)の八雲町鉛川付近の群発地震[7]
- 1995年(平成7年)-1997年(平成9年)の松前付近の群発地震[7]
脚注
- ^ 山縣耕太郎、「噴火堆積物の層序からみた北海道南西部カルデラ火山のカルデラ形成過程」 『日本地質学会』 第114年学術大会(2007札幌)セッションID:O-20, doi:10.14863/geosocabst.2007.0.135.0, 日本地質学会
- ^ 鴈澤好博 (2007年9月8日). “「湯川温泉」の源と海底に沈んだ火山”. キャンパスコンソーシアム函館|合同公開講座 函館学. 2025年6月15日閲覧。
- ^ 函館群発地震活動(I) p349
- ^ 恵山町史 p77-99
- ^ 気象庁、地震予知情報室 "1 -7 函館付近の地震群発について" 地震予知連絡会会報 第22巻 国土地理院 p.18
- ^ 北海道の地震と津波 pp.159-161
- ^ a b c d e f 北海道の地震と津波 pp.177-184
参考文献
- 自治体史
- 恵山町史編纂室編 『恵山町史』 函館市恵山支所 2007年
- 商業誌
- 笠原稔(編著),鏡味洋史(編著),笹谷努(編著),谷岡勇市郎(編著) 『北海道の地震と津波』 北海道新聞社 2012年 ISBN 9784894536340
- 資料等
- 本谷義信, 鈴木貞臣, 高波鉄夫, 石川春義, 岡山宗夫 『函館群発地震活動(I)地震活動と震源分布』 地震第2輯36巻3号 日本地震学会 1983年
関連項目
外部リンク
- 青木かおり, 町田洋, 「日本に分布する第四紀後期広域テフラの主元素組成 - K2O-TiO2 図によるテフラの識別」 『地質調査研究報告』 2007年 57巻 7-8号 p.239-258, doi:10.9795/bullgsj.57.239, 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
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