銘板内容の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 17:40 UTC 版)
セルビアの週刊誌『ヴレーメ』(2013年10月31日号)によると以下の内容の変遷を辿っている。 1枚目の銘板は、1930年2月2日に設置された。その大理石記念銘板の碑文内容は、「この歴史的場所で、ガヴリロ・プリンツィプは、1914年6月15日(28日)、聖ヴィトゥスの日に自由をもたらす。」と刻記され設置された。この内容に周辺国等は反発したが、ユーゴスラヴィア王国政府は「暗殺者の友人たちと家族等が私的に作って設置したものである」と釈明した。なおこの碑文は、1941年4月20日のアドルフ・ヒトラーの52歳誕生日に誕生日プレゼントとして特別に持参されて送られている。 2枚目の銘板は、1945年4月6日にサラエボを解放したパルチザン部隊は、1945年5月7日に「この場所からのガヴリロ・プリンツィプの発砲は、反専制の人民的抗議と我等諸人民の長年にわたる自由への希求を表現している。」と刻記された新しい記念銘板を現場の石壁にはめ込んでいる。 1992年3月1日に独立後、45年に設置された2枚目の銘板は、撤去されている。2004年に「1914年6月28日、この場所からガヴリロ・プリンツィプは、オーストリー・ハンガリー皇太子フランツ・フェルデナントと妻ソフィアを殺害した。」との内容が刻記された3枚目の銘板が設置されている。
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