鈴木重康 (庄司)とは? わかりやすく解説

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鈴木重康 (庄司)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 05:45 UTC 版)

 
鈴木重康
時代 平安時代中期
生誕 寛弘元年(1004年
死没 康平8年1月10日1065年2月17日
別名 鈴木庄司
官位 越中守
氏族 藤白鈴木氏
父母 父:鈴木重武、母:真砂清行の女
兄弟 重康、重孝、重親、女子(田屋権大夫室)
帯刀左衛門尉俊澄の女
重光
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鈴木 重康(すずき しげやす)は、平安時代中期の武将藤白鈴木氏の当主。通称は鈴木庄司官位越中守とされる。

鈴木氏(穂積氏)は紀伊国熊野地方を本拠としていたが、重康の代に同じ紀伊国内の名草郡藤白荘に居を移し[1]、以降は五体王子のひとつ・藤代王子の旧跡である藤白神社社家として続いた。康平8年(1065年)1月10日に62歳で没した。

系譜

宮内庁書陵部蔵『華族系譜61 亀井家』[2]、および『古代氏族系譜集成 中巻』穂積臣系図[3]による。

生母は安珍・清姫伝説で知られる熊野国造一族・真砂庄司家の出で、真砂清行(庄司左衛門)は清姫の甥にあたる[4][5]

脚注

  1. ^ 華族系譜61 亀井家 - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム”. 宮内庁書陵部. 2025年7月15日閲覧。
  2. ^ 華族系譜61 亀井家 - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム”. 宮内庁書陵部. 2025年7月15日閲覧。
  3. ^ 『古代氏族系譜集成中巻』宝賀寿男、1986年、1213頁。 
  4. ^ 『古代氏族系譜集成中巻』宝賀寿男、1986年、1224-1229頁。 
  5. ^ 『古代氏族系譜集成中巻』宝賀寿男、1986年、1213頁。 

参考文献

  • 宝賀寿男「33 穂積臣(一)、采女臣」『古代氏族系譜集成』 中、古代氏族研究会、1986年4月。 NCID BN00924708 

関連項目




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