山田隆夫
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山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお[注 1]、高座名:鈴々舎 鈴丸〈れいれいしゃ すずまる〉、1956年〈昭和31年〉8月23日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、落語家、俳優。5代目鈴々舎馬風門下でもある。東京都江東区深川出身。親類は、山田純大、杉良太郎(山田勝啓)がいる。
注釈
- ^ 2014年4月からは『笑点』出演時を除き芸名の名前部分をひらがなに変更。
- ^ また、24時間テレビ内で行われるチャリティ大喜利では、その年のパーソナリティーである女優が山田とともに座布団運びを務めており、司会者や回答者からも「来週以降もお願いします」と懇願されたり、女優自ら「後継を狙ってます」と発言することもある。
- ^ これは、前任の座布団運びである松崎真が務めていた際に、当時の司会だった三波伸介が行っていた紹介の仕方を踏襲している。
- ^ ただし、自身より年下の昇太・たい平・2代目三平・宮治・一之輔・晴の輔からは基本的に「山田さん」と呼ばれている。
- ^ この時のリポーターは三遊亭好楽で、山田の新居に入ると先にこん平が台所で食事をしていたり、小遊三が風呂に入って歌っていた。
- ^ この若手の中には、現司会者の春風亭昇太や後に大喜利メンバーとなる林家たい平も含まれていた。
- ^ メンバーが映されているモニターの隣に等身大写真パネルが設置され、CGアニメーションで山田が座布団を運ぶ演出が導入された。
- ^ 特にこん平からは(同郷だった田中角栄の物真似で子作り政策を実行しますと言う問いに)「まずだね、山田つれてきて、村に放ちます!!」、「恵子ちゃん、山田の近くにバイアグラ、あってはならないあってはならない」とネタにされるなど、こちらも卒業と共にネタにされる事が多い。
- ^ 笑点のオープニングアニメーションでも、多くの子供に囲まれたイラストが使用されることがあった。
- ^ 123便にはイベントに同行する予定の数名の広告代理店社員が搭乗した。
- ^ 当時は瀬戸大橋・明石海峡大橋・神戸空港は未開業。
出典
- ^ a b c d e f g "『笑点』で座布団を運び続けて38年、山田たかおが語る『ずうとるび』と心に残るジャニーさんの言葉". 週刊女性PRIME. 主婦と生活社. 10 April 2022. 2022年4月10日閲覧。
- ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』90ページ
- ^ a b 幸せと座布団を運び続けて31年!笑点・山田クンが語る「継続する先に見えるもの」 リクナビNEXTジャーナル プロのシゴト観 2015年11月20日
- ^ 山田 たかお profile 株式会社フジプランニング
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 3』講談社、2003年。
- ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』91ページ
- ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』25ページ
- ^ “「笑点」山田隆夫、不動産投資でボロ儲けしていた!「国が“評価額の3.46倍で売ってください”と…」”. スポーツニッポン (2024年4月24日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ “『笑点』山田隆夫、不動産で“ボロ儲け” マンションは「評価額の3.46倍」 土地も「1坪5000円が500万」”. ENCOUNT (2024年4月24日). 2024年4月25日閲覧。
- ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』92ページ
- ^ 2014年5月16日付日本経済新聞 文化面「座布団と積み重ねた幸せ」
- ^ 山田隆夫. ボクに運が巡ってくる55の理由. 廣済堂出版
- ^ 奉行所に於いて紋付袴姿で、奉行依り十手取り縄が授けられる映像があるので、御用聞きでは無く小者の身分である。
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