山田隆夫 山田隆夫の概要

山田隆夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/11 17:06 UTC 版)

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やまだ たかお
山田 隆夫
本名 山田 隆夫やまだ たかお
生年月日 (1956-08-23) 1956年8月23日(62歳)
出生地 日本の旗 日本東京都江東区深川
血液型 A型
職業 アイドル
タレント
歌手
俳優
落語家
活動期間 1966年 -
配偶者 既婚(離婚歴あり)

2014年4月から芸名の表記を『笑点』出演時を除き「山田たかお」に改めている。

来歴・人物

生い立ち

幼少期、実家が詐欺に遭い全財産を失う。それにより両親がいつも暗い顔をしていたので、山田は落語で両親を心から笑わせたいと思うようになり、これが落語に興味を持つきっかけになった[1]。10歳の時、フジテレビの『ちびっこのどじまん』でデビュー。その後複数の番組に出演し、1970年からは日本テレビの『笑点』の「ちびっ子大喜利」コーナーにレギュラー出演した[1]

ずうとるび

「ちびっ子大喜利」コーナーの座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューということで、1973年ずうとるびのメンバーとして歌手デビューし活躍する。[1]ずうとるび在籍時代には歌手として第26回NHK紅白歌合戦に出場。その後日本大学豊山高等学校を卒業する。

ずうとるび脱退

1977年、結婚を機にずうとるびを脱退する[1]。建前上は結婚のため脱退となっているが、実際はこの頃ずうとるびの音楽的方向性の考え方の相違から、当時は他のメンバーと険悪な状態になっており、山田自身の意思による脱退だった。

山田はモンキーズのようなポップ色の強いバンドを目指していたが、他のメンバーはバンド名の由来ともなったビートルズのようなロックバンドを目指していたことから口論や喧嘩も絶えなかったとを、後に日本テレビ系番組『壮絶バトル!花の芸能界』にて明かしている。山田がモンキーズを目指していたことは、ずうとるびのシングル「恋の夜行列車」からも読み取れる。この曲は山田自身の作詞・作曲であるが、これはモンキーズのデビュー曲である「恋の終列車(Last Train To Clarksville)」からヒントを得たものである。 ずうとるび脱退以降は俳優に主軸を置いた活動となるが、脱退とともにずうとるびとして出演していた番組を軒並み降板する事になった。その為仕事の数が急激に減り、当時既に所有していたマンションが主な収入源となっていた時期を経験する事となる。この時期の出演番組のひとつにNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』があり、毎週土曜日に放送されていたコーナー『どんどんどん』のお兄さんを1980年度の1年間勤めた。

『笑点』の「座布団運び」として

1984年10月7日からそれまでの松崎真に替わり、『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任した。これまで座布団運びを務めてきた人は体格の良い者ばかりであったが「重い座布団をちっちゃいのが運んだらおもしろいんじゃないか」という5代目三遊亭圓楽と番組プロデューサーのアイデアで、岐路に立っていた山田に白羽の矢が立った[2]。山田の色紋付は当初赤紫だったが、1年後若干オレンジ気味の朱色(番組ではと呼ばれる事が多い)に変わる。定紋は『剣かたばみ』。最初の挨拶の時は「座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です」というキャッチフレーズがあり、2015年の一時期は山田の挨拶がこのキャッチフレーズのみだった事がある。地方収録のときは、「山田流座布団運び家元とその一座でございます」という芝居がかった挨拶をするのが恒例となっている。

年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしていることから、回答者からしばし「今日限りで番組卒業」「あんな仕事は誰でも出来る」「山田の挨拶はつまらん」「いい加減辞めてほしい」などと馬鹿にされることが多く、これに反発して回答者を蹴り飛ばすなど荒っぽいやり方で座布団を没収する[3]。これは5代目三遊亭圓楽の目立たなくなりがちな座布団運びを番組に絡ませるための提案が元で始まった。山田罵倒ネタは林家こん平林家たい平師弟と6代目三遊亭円楽(楽太郎)、桂歌丸が使用することが多い。座布団の回収について5代目圓楽からは判断を一任されていたが、歌丸や昇太が司会になってからは没収した枚数+1枚をあげるよう指示されることが多い。芸歴上は歌丸、林家木久扇、6代目円楽以外のメンバーは後輩にあたるが、メンバーからは未だに「山田君」と呼ばれている[4]

江戸川区在住時代は5代目圓楽から「江戸川のスター」と紹介されることが多かったが、東京都の区画整備により高圧鉄塔が立つために立退き、横浜市に引っ越した。新居落成時には、番組でメンバーのお宅訪問が行われた。山田本人はこの邸宅を「座布団御殿」と呼んでいる。

なお、笑点には座布団係に徹するために本名で出演しているが、鈴々舎馬風に入門し、落語家として「鈴々舎鈴丸」という名を持っている。入門のきっかけは笑点の座布団運びになった事で、落語での世界のしきたり・作法や立ち振る舞いなどを勉強する意味で、落語家修行を始めたものである[2]。番組内では時折「大喜利メンバー入り」の意思を宣言しており、稀に大喜利で回答することもあるため弟子入りしたとも考えられている。

1998年7月には自身が務めていた「大喜利」の座布団運びを若手[5]に任せることとなり一ヶ月間休んだが、視聴者から苦情や抗議が殺到したため5代目圓楽も「山田君がいないとダメだ」とすぐに座布団運びに戻した[6]

俳優活動

俳優として多数のテレビドラマや映画に出演している。1987年にアメリカ映画『太陽の帝国』(スティーヴン・スピルバーグ監督)に出演し、話題となった。このことは後に『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』で取り上げられた。また、これに伴い山田は役作りのために坊主頭になっており、その時期警察署の一日署長を務めたことがあり、そのときの写真が笑点40周年記念本に収録されている。

この演技が認められ、『ミスター・ベースボール』に通訳の役で出演が決定し、山田自身も出演を公表していたが実現しなかった。また、この経歴から大喜利の10枚獲得賞品における「世界の大スター」として登場したこともある(1999年9月5日放送分1680回より)。

この賞品は山田がソロライブを行い、ずうとるびの代表曲のみかん色の恋を歌うだけであり、肝心な歌丸には不評極まりなく、5代目圓楽も同行してのひどいサプライズプレゼントとなった。

出演

主なドラマ出演

映画

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バラエティ

その他




  1. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』90ページ
  2. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』91ページ
  3. ^ 特別大喜利でゲスト出演者が座布団運びを行った際は回答者やゲスト本人から「来週以降もお願いします」「後継を狙っています」とイジられることも多い。
  4. ^ 但し、昇太に於いては大先輩という事もあり「山田さん」と呼ばれる事もしばしばある。たい平も大喜利の回答では「山田君」と呼んでいるが、それ以外や代理司会時には「山田さん」と呼んでいる。
  5. ^ この若手の中には、現司会者の春風亭昇太や大喜利メンバーとなる林家たい平も含まれていた。
  6. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』92ページ
  7. ^ 誰だって波瀾爆笑』2012年1月8日放送分
  8. ^ 実際に、2008年3月30日横浜市営地下鉄グリーンラインが開業した。
  9. ^ 2014年5月16日付日本経済新聞 文化面「座布団と積み重ねた幸せ」
  10. ^ 山田隆夫. ボクに運が巡ってくる55の理由. 廣済堂出版. 
  11. ^ 一方で、同行する予定だった数名の広告代理店社員は万が一のことを考えて当該便に搭乗し犠牲となった。


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