金蔵寺_(横浜市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金蔵寺_(横浜市)の意味・解説 

金蔵寺 (横浜市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/30 18:55 UTC 版)

金蔵寺
本堂
所在地 神奈川県横浜市港北区日吉本町2-41-2
位置 北緯35度33分3.3秒 東経139度38分16秒 / 北緯35.550917度 東経139.63778度 / 35.550917; 139.63778座標: 北緯35度33分3.3秒 東経139度38分16秒 / 北緯35.550917度 東経139.63778度 / 35.550917; 139.63778
山号 清林山[1]
院号 仏乗院[1]
宗派 天台宗[1]
本尊 大聖不動明王
創建年 伝・貞観年間(859年 - 876年
開基 伝・智証大師清和天皇(勅願)
正式名 清林山 仏乗院 金蔵寺
別称 国家鎮護道場
札所等 関東三十六不動 第5番
武相不動尊 第8番
関東百八地蔵 第85番
准秩父三十四観音 第3番
横浜七福神(寿老人
法人番号 3020005000395
テンプレートを表示

金蔵寺(こんぞうじ)は、神奈川県横浜市港北区にある天台宗の寺院である。正式には清林山 仏乗院 金蔵寺という。また、別称を国家鎮護道場という。

概要

本尊は天台宗第五代座主・智証大師(ちしょうだいし)作と伝えられる大聖不動明王[1]。横浜七福神の一つで寿老人が祀られている。

平安時代貞観年間(859年~876年)に清和天皇の勅願により智証大師が創建したと伝えられる。

裏山に日吉山王権現を祀る日吉社があり、日吉の地名の起源とされている。

江戸時代には寛永寺の末寺として栄え、敷地面積は2万坪を誇る。徳川将軍家の庇護の元、江戸幕府初代と二代将軍である徳川家康秀忠父子により梵鐘が寄進され現存している。

境内には当寺が経営する金蔵寺幼稚園があったが、平成20年3月31日で廃園となった。

ギャラリー

交通アクセス

電車
バス

脚注

参考文献

関連項目

  • 日吉 -金蔵寺に隣接してあった「日吉権現」に因む。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金蔵寺_(横浜市)」の関連用語

金蔵寺_(横浜市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金蔵寺_(横浜市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金蔵寺 (横浜市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS