金性俊とは? わかりやすく解説

金性俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 05:16 UTC 版)

金 性俊
基本情報
本名 金 性俊
階級 ライトフライ級
身長 159cm
国籍 韓国
誕生日 (1953-06-03) 1953年6月3日
出身地 釜山市
死没日 (1989-02-03) 1989年2月3日(35歳没)
死没地 ソウル市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 48
勝ち 28
KO勝ち 13
敗け 14
引き分け 6
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金 性俊(キム・ソンジュン、朝鮮語: 김성준英語: Sung-Jun Kim1953年6月3日 - 1989年2月3日))は、韓国プロボクサー釜山市出身。元WBC世界ライトフライ級王者。

来歴

1971年12月28日、大韓民国(以後、単に韓国)でプロデビュー。

1975年8月31日、11戦目で韓国ライトフライ級王座を獲得した。同王座は2度防衛後に返上するも、1977年1月22日に再獲得し、さらに1度の防衛に成功した。

1978年1月26日、25戦目でOBF東洋ライトフライ級王者鄭相一に挑戦し、12回判定勝ちで王座を獲得した。

1978年3月25日、初防衛戦で天龍数典と対戦し、3回KO勝ちで初防衛に成功した。

1978年7月9日、2度目の防衛戦で鄭相一と再戦し、12回判定負けで王座から陥落した。

1978年9月30日、30戦目で世界初挑戦。WBC世界ライトフライ級王者ネトルノイ・ソー・ボラシングに挑戦し、3回KO勝ちで世界王座を獲得した。

1979年には3度の防衛戦を行い、王座を防衛。

1980年1月3日、4度目の防衛戦で中島成雄と対戦し、15回判定負けで王座から陥落した[1]

1980年5月9日、のちのIBF世界スーパーバンタム級王者李承勲と対戦し、10回判定負け。

1980年7月28日、1階級上のWBC世界フライ級王者大熊正二に挑戦し、15回判定負けで2階級制覇に失敗した[1]

その後は、ミゲル・カントラファエル・オロノに敗れ、1982年7月11日の試合を最後に引退した。

引退後はパンチドランカー症状や貧困に悩まされ、1989年2月3日、ソウル市内でビルから飛び降りて自殺した。35歳没。

獲得タイトル

脚注

  1. ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目

外部リンク

前王者
鄭相一
OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者

1978年1月26日 - 1978年7月9日

次王者
鄭相一
前王者
ネトルノイ・ソー・ボラシング
第5代WBC世界ライトフライ級王者

1978年9月30日 - 1980年1月3日

次王者
中島成雄




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