金命洙_(政治家)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 金命洙_(政治家)の意味・解説 

金命洙 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 13:54 UTC 版)

金 命洙(キム・ミョンス、朝鮮語: 김명수1906年1月21日 - 1986年10月12日[1][2]または12月12日[3])は、日本日本統治時代の朝鮮および大韓民国ジャーナリスト政治家長、第2・5代韓国国会議員[4]

本貫光山金氏[3]一初(イルチョ、일초)[4]。日本名は金光 命洙[3]。元国会事務処行政次長の金容鈞朝鮮語版は息子[2]

経歴

慶尚南道陜川郡龍洲面出身。幼少期は近くで儒学を学び、13歳になると同志たちと陜川青年会を結成し、夜間公民学校の設置を要求した。公民学校でしばらく勉強した後、15歳に渡日し、漢文を教えながら早稲田中学校を卒業した[3]

卒業後は宇部日日新聞の記者・広告局長・編集局長として10年間過ごした後、釜山で実業新聞社を設立した。1936年から陜川金融組合長を約10年間務めたほか、国民会青年団の幹部を務めた。その後は申翼煕趙炳玉らと親交を深め、1950年の第2代総選挙と1960年の第5代総選挙で陜川郡乙選挙区と釜山東萊区選挙区からそれぞれ国会議員に当選し、1954年の第3代総選挙にも出馬した。国会議員在任中は朝鮮戦争期の国会国防分科委員と第5代国会の財経分科委員を務めた。民主党旧派同志会参加後、反独裁闘争の先鋒として活動した[3][5][6]

1986年10月12日(または12月12日[3])、釜山市東萊区寿安洞の自宅にて老衰または持病により死去。享年80[1][2]

脚注

  1. ^ a b 2,5代(대) 議員(의원) 金命洙(김명수)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1986年10月13日). 2025年7月14日閲覧。
  2. ^ a b c 前(전)국회의원 金命洙(김명수)씨別世(별세)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1986年10月14日). 2025年7月14日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 손동유, “김명수 (金命洙)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0075977 2025年7月14日閲覧。 
  4. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年7月14日閲覧。
  5. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年7月14日閲覧。
  6. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年7月14日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  金命洙_(政治家)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金命洙_(政治家)」の関連用語

金命洙_(政治家)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金命洙_(政治家)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金命洙 (政治家) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS