野並の梅と聖松
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:51 UTC 版)
天白区野並四丁目、鳴海町、古鳴海、相川付近はかつて、上野山(鳴海丘陵)と呼ばれ、一帯が梅林であった。その梅林の頂上に大きな奇異な形をした松があり聖松とされた。 江戸時代に 東海道が整備されるまでは、京都〜鎌倉を結ぶ道は鎌倉街道と呼ばれ、陸上ルートは天白区島田〜天白区野並〜緑区鳴海であった。それに対し、海上ルートは南区呼続〜天白区野並〜緑区鳴海を渡っていた。その際、呼続台地方面から野並に海上から渡る目印を『上野の聖松』としていた。しかし、昭和初期頃に枯れてしまった。 現在、聖松が立っていた頂上辺りには梅野公園がある(野並駅近くの八劔社辺りに松があったという説もあるが、上野山の頂上とされているため梅野公園辺りのほうが海抜が高く有力)。 尾張名所図会・野並乃梅【幕末刊】
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