重田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 04:22 UTC 版)
藤原氏の流れを汲む信濃國佐久郡発祥の一族。現在も佐久に宗家を名乗る家系が残る。初め武田氏、武田氏滅亡後は蘆田氏に、天正壬午の乱の以後より徳川氏に仕え天守番などを務めた。依田氏の一族であり、姓を依田より「繁田」に改め、さらに後に好字の「重」を用いて「重田」に改めたとされる。天正十年の天正壬午の乱では重田周防守国が「三澤ヶ嶽(三澤小屋)」で依田信蕃を補佐したと伝わる。天正壬午の乱で信蕃が死去した後は時期は不明であるが、徳川氏に従ったとされる。慶長五年の第二次上田合戦には徳川勢につき本多正信属として赴いている。『信濃史料』にも「天正七年(中略)芦田郷内山家郷代官重田周防守」の記述がみられる。
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