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重澤俊郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/02 02:30 UTC 版)

重澤 俊郎
人物情報
生誕 (1906-12-13) 1906年12月13日
日本東京都
死没 1990年5月21日(1990-05-21)(83歳没)
出身校 京都帝國大学
学問
研究分野 中国哲学
研究機関 京都大学
学位 文学博士
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重澤 俊郎(しげさわ としお、1906年12月13日[1] - 1990年5月21日[2])は、日本の中国哲学者。京都大学名誉教授

経歴

出生から修学期

1906年、東京で生まれた。京都帝国大学文学部に入学し、支那哲学科で小島祐馬に師事した[3]。1932年に卒業

中国哲学研究者として

卒業後は第三高等学校教授に就いた。1942年、母校の京都帝国大学文学部助教授に任じられた。

戦後の1950年、学位論文『経学研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得[4]。同1950年、教授に昇格。1970年に定年退官し、名誉教授となった[5]

学風は小島祐馬侯外廬に近く[6]マルクス主義歴史学的手法をとった[7]。戦後の京大の学内政治に左翼的立場から関与した[8][9]。指導学生には戸川芳郎加地伸行がいる[10][9][7]

著作

著書
  • 漢思想研究』弘文堂書房 1943
    • 再版 大空社 1998
  • 『中国四大思想』日本科学社 学生叢書 1947
  • 『原始儒家思想と経学岩波書店 1949
  • 『中国哲学史研究:唯心主義唯物主義の抗争史』法律文化社 1964
  • 『中国歴史に生きる思想』日中出版 1973
  • 『中国の伝統と現代』日中出版(現代中国双書) 1977
  • 論語の散歩道』日中出版 1979
  • 孫子の兵法 科学は謀略に勝てるか』日中出版 1981
  • 孟子:聖人君子の笑いが目に浮ぶ』日中出版 1983
共編
訳書・校註
  • 『先秦政治思想史』梁啓超著、創元社(創元支那叢書) 1941
    • 再版 大空社 1998
論文

参考文献

脚注

  1. ^ 『現代日本人名録』1987年
  2. ^ 『人物物故大年表』
  3. ^ 戸川 2003, p. 232.
  4. ^ CiNii(学位論文)
  5. ^ 京大文学部の百年
  6. ^ 「学問の思い出 戸川芳郎先生を囲んで」『東方学 創立65周年記念特別号』東方学会、2014年。 国立国会図書館書誌ID:025548728。12頁。
  7. ^ a b 加地伸行『平和ボケ日本 偽善者白書』ワック、2024年。241頁。
  8. ^ 戸川 2003, p. 235.
  9. ^ a b 加地 2006.
  10. ^ 戸川 2003, p. 234.



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