酒井家統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 03:44 UTC 版)
忠輝改易後は、上野高崎藩から酒井家次が10万石で入部した。家次は徳川四天王筆頭であった酒井忠次の嫡男で、生母は徳川家康の祖父松平清康の娘なので家康の従弟にあたる。家次は忠輝改易後の7月に高田城の受け取りを務め、そのまま10月に入部した。家次は父と共に家康覇業の功臣として活躍した人物であったが、高田入部から2年足らずの元和4年(1618年)3月に死去した。子の酒井忠勝が継いだが、元和5年(1619年)3月に信濃松代藩へ移封された。
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