郡一覧
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安那郡全6郷。「やすな」という。『和名類聚抄』は「夜須奈」と訓ずる。また「あな」ともいう。字体は「婀娜」と書くこともある。(『日本書紀』広国押武金日天皇2年5月9日(535年6月24日)条には「婀娜国」とある。) 1898年(明治31年)10月1日に深津郡と統合し、深安郡の一部となる。 深津郡全3郷。養老5年4月20日(721年5月20日)、安那郡の一部を割いて成立。 1898年(明治31年)10月1日に安那郡と統合され、深安郡の一部となる。 神石郡全4郷。「かめし」という。「かみし」・「じんせき」とも呼ばれる。字体は「亀石」とも表記される。 『日本書紀』天渟中原瀛真人天皇2年3月17日(673年4月8日)条に「亀石郡」とある。 奴可郡全4郷。1898年(明治31年)10月1日に三上郡・恵蘇郡と統合され、比婆郡の一部となる。 沼隈郡全4郷。 品治郡全7郷。「ほんぢ」という。また、「ほんち」とも。字体は「品遅」とも表記される。 1898年(明治31年)10月1日に芦田郡と統合され廃止。蘆品郡の一部となる。 葦田郡全6郷。「芦田」・「蘆田」とも表記される。 和銅2年10月8日(709年11月13日)、品遅(品治)郡から3里を編入する。 1898年(明治31年)10月1日に品治郡と統合し、蘆品郡の一部となる。 甲奴郡全3郷。「甲努」とも表記される。芦田郡より分離し成立。和銅2年10月8日(709年11月13日)、甲努郡甲努村に郡を建てる。 三上郡全5郷。1898年(明治31年)10月1日に廃止され比婆郡の一部となる。 恵蘇郡全3郷。1898年(明治31年)10月1日に三上郡・奴可郡と統合し比婆郡の一部となる。 御調郡全7郷。「みつき」という。「みつぎ」とも呼ばれる。また、「御月」・「三月」とも表記される。 1898年(明治31年)4月1日、尾道町が尾道市となる。 世羅郡・・・全4郷。 三谿郡全5郷。1898年(明治31年)10月1日に廃止され、双三郡の一部となる。 三次郡全4郷。1898年(明治31年)10月1日、三谿郡と統合し、双三郡の一部となる。 吉刀郡『拾芥抄』に記載されるが仔細不明。
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「ビスカヤ県の自治体一覧」の記事における「郡一覧」の解説
現在、ビスカヤ県は7のコマルカ(県の下位にある行政区分 : 郡)に分けられている。 コマルカ・デル・グラン・ビルバオ – ビルバオ、ネルビオン川左岸地区、ウリベ・コスタ、チョリエリ、エゴ・ウリベを含んでいる。ビルバオ都市圏の大部分がコマルカ・デル・グラン・ビルバオに含まれる。 コマルカ・デル・ウリベ コマルカ・デル・エンカルタシオネス コマルカ・デル・ブストゥリアルデア コマルカ・デル・ドゥランゲサド コマルカ・デル・レア=アルティバイ コマルカ・デル・アラティア=ネルビオン
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