郡一覧とは? わかりやすく解説

郡一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 01:05 UTC 版)

備後国」の記事における「郡一覧」の解説

安那郡全6郷。「やすな」という。『和名類聚抄』は「夜須奈」と訓ずる。また「あな」ともいう。字体は「婀娜と書くこともある。(『日本書紀』広国押武金日天皇2年5月9日535年6月24日)条には「婀娜国」とある。) 1898年明治31年10月1日深津郡統合し深安郡一部となる。 深津郡全3郷。養老5年4月20日721年5月20日)、安那郡一部割いて成立1898年明治31年10月1日安那郡統合され深安郡一部となる。 神石郡全4郷。「かめし」という。「かみし」・「じんせき」とも呼ばれる字体は「亀石」とも表記される『日本書紀』天渟中原瀛真人天皇2年3月17日673年4月8日)条に「亀石郡」とある。 奴可郡全4郷。1898年明治31年10月1日三上郡恵蘇郡統合され比婆郡一部となる。 沼隈郡全4郷。 品治郡全7郷。「ほんぢ」という。また、「ほんち」とも。字体は「品遅」とも表記される1898年明治31年10月1日芦田郡統合され廃止蘆品郡一部となる。 葦田郡全6郷。「芦田」・「蘆田」とも表記される和銅2年10月8日709年11月13日)、品遅(品治)郡から3里を編入する1898年明治31年10月1日品治郡統合し蘆品郡一部となる。 甲奴郡全3郷。「甲努」とも表記される芦田郡より分離し成立和銅2年10月8日709年11月13日)、甲努郡甲努に郡を建てる三上郡全5郷。1898年明治31年10月1日廃止され比婆郡一部となる。 恵蘇郡全3郷。1898年明治31年10月1日三上郡奴可郡統合し比婆郡一部となる。 御調郡全7郷。「みつき」という。「みつぎ」とも呼ばれるまた、「御月」・「三月」とも表記される1898年明治31年4月1日尾道町尾道市となる。 世羅郡・・・全4郷。 三谿郡全5郷。1898年明治31年10月1日廃止され双三郡一部となる。 三次郡全4郷。1898年明治31年10月1日三谿郡統合し双三郡一部となる。 吉刀郡『拾芥抄』に記載される仔細不明

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郡一覧

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ビスカヤ県の自治体一覧」の記事における「郡一覧」の解説

現在、ビスカヤ県は7のコマルカ(県の下位にある行政区分 : 郡)に分けられている。 コマルカ・デル・グラン・ビルバオビルバオネルビオン川左岸地区ウリベ・コスタチョリエリエゴ・ウリベ含んでいる。ビルバオ都市圏大部分コマルカ・デル・グラン・ビルバオ含まれる。 コマルカ・デル・ウリベ コマルカ・デル・エンカルタシオネス コマルカ・デル・ブストゥリアルデア コマルカ・デル・ドゥランゲサド コマルカ・デル・レア=アルティバイ コマルカ・デル・アラティア=ネルビオン

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