郡・郡司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 06:59 UTC 版)
詳細は「郡」、「郡司」、「郡衙」、および「評」を参照 郡司は、大領(だいりょう)・少領・主政(しゅせい)・主帳(しゅちょう)が置かれた。大領・少領を合わせて郡領という。郡領にはかつての国造一族などの在地首長が任ぜられた。終身の職であった。 郡は二十里、二十里は千戸を上限として、その領内に含まれる里数によって五等級に区分される。大郡は十六~二十里、上郡は十二~十五里、中郡は八~十一里、下郡は四~七里、小郡二~三里で、下郡には主政が置かれず、小郡では大領・少領を区別せずにただ領一人を置いた。 郡は、六世紀の中葉頃の欽明朝に屯倉の設置が拡大されていき、ヤマト政権の地方政治組織となっていった。史の支配の及ぶ土地と人間の総体を指して「コオリ」と呼んだらしい。コオリの称は、律令制下の郡の和訓とされ、現代まで受け継がれている。郡の制度は701年(大宝元)施行の大宝令に始まるが、それ以前の地方行政組織は「評」と書かれ、「コオリ」と称された。
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