邪摩堆(大和)の所在地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 10:22 UTC 版)
倭国は、百済・新羅の東南、水陸三千里の大海の中にあると記述されている。倭国の国境は東西が五ヶ月の行程で、南北に三ヶ月の行程である。竹斯国(筑紫国に比定されている)から邪摩堆まで、「東」へと向かっている。 『倭國在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海中。』 『其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。』 『度百濟、行至竹島、南望耽羅國。』 『經都斯麻國、迥在大海中。又 東至一支國。』 『又至竹斯國、又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲。』 『又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。』 『後十日、又遣大禮哥多毗從二百餘騎、郊勞。既至彼都。』
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