還住の語源と文学作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 20:19 UTC 版)
「還住 (青ヶ島)」の記事における「還住の語源と文学作品」の解説
火山の噴火によって止む無く故郷の青ヶ島を離れ、50年余りの年月を費やして再び青ヶ島での生活の復興を成し遂げることができた事実は、柳田國男が昭和8年(1933年)に発表した「青ヶ島還住記」に取り上げられた。柳田が用いた「還住」という言葉はやがて苦難の末に青ヶ島住民が帰島を果たした事実を表す言葉として定着し、八丈島と青ヶ島を結ぶ定期船の名前にも用いられていた(2014年1月より、あおがしま丸に交代)。また柳田は還住の達成に尽くした名主次郎太夫を、青ヶ島還住記の中で「青ヶ島のモーゼ」と呼び、その功績を称えた。 また井伏鱒二は八丈実記の記録を参考にして、青ヶ島への還住を主題とした「青ヶ島大概記」を著した。
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