還住 (青ヶ島)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 04:57 UTC 版)
還住(かんじゅう、げんじゅう)は、一度居住地を去った者がその土地に戻り再度居住することを意味する語。
注釈
- ^ 小林(1980)によれば、噴火活動の激化によって八丈島へ避難した青ヶ島島民の青ヶ島帰還について、当時は「起返」ないし「開発」と呼んでいた。ここでは後述のように柳田國男の著作「青ヶ島還住記」以降、一般的に用いられるようになった還住を記事名とする。古くは「げんじゅう」と読むが、青ヶ島に関することでは「かんじゅう」と読まれることが多い。
- ^ 池之沢の地形についてはカルデラとされることが多い。ここでは気象庁活火山情報:青ヶ島の記述に従い火口とする。
- ^ 小林(1980)によれば、八丈島役所に提出された公式の記録では14名が死亡したとなっているが、八丈実記では7名死亡となっている。八丈実記の作者である近藤富蔵は被災した青ヶ島島民から直に確認した話としており、こちらが正しい記録である可能性もあるが、ここでは公式の記録に基づいた数字を採用する。
- ^ 小林(1980)によれば、このとき八丈島へ向かった青ヶ島島民の数は45名であったとの記録もある。
- ^ 柳田(1951)、小林(1980)によれば、文政4年(1821年)より利率が8分に引き下げられ、40両が青ヶ島島民のために使用されるようになったとする。
出典
- ^ 小林(1980)pp.15-17、内田(1991)「平成3年度第二次調査・青ヶ島」pp.26-29、樋口(2010)p.328
- ^ 小林(1980)pp.15-18、内田(1991)「青ヶ島の歴史的地理的環境」p.7
- ^ 小林(1980)pp.18-20、樋口(2010)p.328
- ^ 小林(1980)pp.18-21、pp.42-45、樋口(2010)p.328、気象庁活火山情報:青ヶ島
- ^ 小林(1980)pp.36-38、pp.74-76
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- ^ 柳田pp.48-49、小林(1980)pp.122-130
- ^ 柳田(1951)pp.49-50、小林(1980)pp.119-122
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- ^ 小林(1980)pp.317-329
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- ^ 小林(1980)pp.331-333
- ^ 小林(1980)pp.332-334
- ^ 柳田(1951)pp.51-53、小林(1980)pp.334-357
- ^ 小林(1980)pp.357-364
- ^ 柳田(1951)p.44、菅田正昭のシマ論35 還住(かんじゅう)と還住(げんじゅう)
- ^ 『火の島に生きる : 悲劇の島・青ケ島の記録』(国立国会図書館サーチ)
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