安永9年の噴火
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安永9年6月18日(1780年7月19日)から23日までの6日間、青ヶ島は群発地震に見舞われた。6月24日には地震は収まるが、6月27日、池之沢に噴火口が出現し、そこから大量の湯が噴き上がった。池之沢内の大池と小池の水位は上昇を続け、やがて大池と小池はひとつの大きな池となって耕作地を飲み込んでいった。また、水温も上昇して7月半ばには手を入れられないほどの湯になってしまった。しかも大量に湧出し続ける湯は塩水であり、池之沢の耕地は甚大な被害を受けることになった。また噴煙の噴出も見られ、噴煙によっても農作物は被害を受けた。 青ヶ島名主の七太夫は7月末に噴火の被害について報告するために八丈島に渡った。八丈島役所も8月、被害の状況を確認するために見分を実施したが、このときは報告と見分の成果はなく、翌年の天明元年分の青ヶ島の年貢は規定どおりの納入が指示され、通常通り年貢は納められた。
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