過疎地の路線維持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 04:28 UTC 版)
一方、過疎化とモータリゼーションにより乗客が減少していた山間部においては、1975年に東吉野村でのスクールバスの運行受託を開始したほか、1980年には十津川村において村内ローカル路線の存続とスクールバスの効率化を同時に解決するため、支線を全て十津川村営バスとした上で、全ての運行業務について奈良交通が受託するという方法を採用した。この方式は「十津川方式」とも呼ばれ、日本のバス業界において注目を集めた。これ以後、自治体バスの運行などを積極的に受託している。 また、1984年には都祁村などで、村内路線をマイクロバスにした上で幹線路線との乗り継ぎを行う方法を導入した。 なお、1988年4月には和歌山県太地町の南紀開発がバス事業を廃止したことから、奈良交通が路線バスと貸切バス事業を継承しており、奈良交通にとっては新たな事業展開となった。
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