軍事の要衝としての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 15:42 UTC 版)
木曽川は鎌倉時代以降、その豊富な水量と広大な川幅が軍事拠点として利用された。1221年(承久3年)の承久の乱では後鳥羽上皇率いる朝廷軍が鎌倉幕府軍を木曽川で迎撃。下る戦国時代には豊臣秀吉が美濃・墨俣(現・岐阜県大垣市)に一夜城を築き織田信長の美濃攻略を容易にした。信長は木曽川・長良川河口に浮かぶ長島に拠る一向一揆に大いに苦しめられた。関ヶ原の戦いの前哨戦にあたる河田木曽川渡河の戦いでは、岐阜城主であった西軍の織田秀信の激しい抵抗を、池田輝政や山内一豊などが兵士数の差を活かして打ち破った。
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